2008年11月03日

つながらなかった23年前の輝きたち

2008年ナビスコカップ決勝は、大分トリニータ-清水エスパルスの
対戦となり、2-0で見事に大分が九州のチームとして初優勝を飾った。
これを見て、(まるであの時だな)と思い出した。
1985年の事だから、もう既に23年前か。
全国中学校サッカー大会の決勝は大分の明野中学と静岡の
清水第五中学の対戦となり、明野中学が4-2で勝利を収め、
優勝した。そういえば奇しくも、点差も同じ2点だ。

時代背景に少し触れておかねばならない。
当時のこの年代と言えば、高校サッカーと同じく関東や静岡など
サッカーの土壌がある地域の代表が強くレベルも高かった。
それが九州、しかも大分の代表校が頂点に立ち、また素晴らしい
内容のサッカーを披露した、という事で注目が集まった。
そして当時の中心選手たちも大きく取り上げられたものだ。

中学生へのインタビューであるから、当然「この後の進路は?」
となる。サッカー専門誌のインタビューであるから、おそらくは
当時日本で最も華やかサッカーの舞台であった高校サッカーへの
期待を語るのかと思いきや、「できれば勉強もスポーツも両立できる
地元の大分上野丘高校に進みたい」だった。
「強豪校に行きたい、あるいはこのメンバーで高校でも全国優勝
したい、とかはないの」と問われた答えは「サッカーをやって
いても、生活できないじゃないですか。日本にはプロはないんだし」
と冷めたもの(当時のインタビュアーもそう付記)だった。

全中で優勝を争った清水第五には、三浦文丈、藤田俊哉らがいた。
彼らはJリーグで活躍したわけだし、懸命にやっていれば道は拓か
れるのではないか、という反論もあるだろうが、大分と静岡は
違う。一度ぐらい優勝しようとも依然大分はサッカー不毛の地で
あり、地方はいろいろなものから離れ過ぎている。また、日本の
サッカー環境自体がどうしようもないものだったのだ。

インタビューが掲載された数人のうち「サッカーの強い国見に進学
したい」と意志表示をしていたのが、しなやかなドリブルを絶賛
された永井秀樹。
信念を貫いて国見に進学、選手権でも優勝した。Jリーグでも
東京ヴェルディを中心とした活躍の数々は、記憶に残っている方
も多いだろう。
もうひとり、「地元の大分上野丘高校か国見に」と口にしていた
選手がいる。遠藤善主という選手で、最も注目を集めたFWだった。
大分上野丘高校に進んでこのまま日の目を見ずに終わるか、と
思われたが、地方予選を勝ち抜いて選手権に出場してくる。聞いた話に
よると、地方大会での決勝ゴールは自身の足によるものだったそうだ。
遠藤は日本リーグのNKK、また初期の京都パープルサンガにも在籍した
はずだが、Jリーグブームの波には一歩のれなかった。
調べてみると、JFLのカターレ富山というチームのヘッドコーチに
今同じ名前がある。あの遠藤だろうか?
永井もFC琉球などでしぶとく現役にこだわり続けているようだ。
早くに注目された原石は、スターの輝きにまではなり損ねたのかも
しれないが、自分の意志と力でサッカー人生を切り開き、熱いものを
感じさせ続けてくれる。

Jリーグができた頃、(あの選手たちが中学生の頃プロができて
いれば、どんな回答をしていただろう。その後どうなっていった
だろう)と思ったものだ。
今、大分トリニータの活躍で地元は県外からは注目され、県内では
サッカー熱が盛り上がっている事だろう。
20年以上前にあった輝きは、こうして確かに結実したのだ----そう
思いたい。

(注:九州勢としては前年に国見中学が優勝している。ただ長崎は
すでに高校サッカーでも優勝候補に挙げられていて、地方ながら
若年層の強化も着手されていた。そのため、驚きではあったものの
”弟分がひと足先に優勝”と報道されたり、例外的な見方がされて
いた)。

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Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2008年 11/13号 [雑誌]
posted by nike3 at 02:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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