「メキシコオリンピックでは銅メダル」
「クラマーさんは偉大だった」
正直、うんざりだった。
メキシコオリンピックの主将八重樫さんは、
「決して銅メダルの自慢話はしない」
と誓っていたそうだ。
それは八重樫さんたちもまた、1932年のベルリンオリンピック
で日本が優勝候補のスウェーデンを破った事、それをながく
自慢され、今の連中はふがいないと罵られ続けたからだと言う。
もちろん、私のようなカビの生えたファンにとっても、
ベルリンの奇跡は古典でしかない。
確かに、考えてみると実際のメキシコ五輪のメンバーが栄光
をひけらかしていたといういう記憶はない。
ただし周囲は違っていて、テレビや新聞の数少ない記事の中には
常に”メキシコの銅メダル”があった。
協会や代表監督もメキシコに関わった人物を中心に構成されていた。
当時の日本人で最も優れた指導者と言われたのは加茂周だったが、
代表監督の候補に挙がる事さえなかった。”あいつはメキシコ
のメンバーじゃないだろう?”という声があったそうだ。
そして、クラマーである。
「銅メダルの栄光をもたらした人」「日本サッカー育ての親」
功績も偉大さも知っていたし、リスペクトもする。
けれどもやはり、現在は現在であって、未来へと目を向けねば
発展はしていかない。
そして、オシムである。
クラマーと違い、ジェフでの功績も実際に見て来てきているし
代表で示した可能性にも夢を見た。
けれども、病により倒れた。
未来へのベクトルは、閉ざされたのである。
私がもっと若ければ
「オシム戻ってこないかなあ」
と無邪気に尋ね、
「おまえ、あの病気の事ちゃんと調べろよ」
と友人に諭されていただろう。
そもそも、もしオシムが代表監督をやるならドイツ大会の時だ、
と思っていた。
ヨーロッパの地の利もあるし、日本の選手もポテンシャルが高
かった(使わない選手もいただろうが)。翻って南アフリカは
オシムにとっても勝手がわかる場所ではなく、また高齢を迎え
そんな過酷な環境での指揮にも不安があった。例え美しく
機能的なチームが完成したとしても、次のワールドカップは
正統な魅力が披露できる大会にはならない、そうも予想して
いる。
オシムを就任させた時期そのものが、間違いだったのだ。
話がそれた。
暗黒時代と言われた頃に感じていたクラマー賛歌への苛立ちが、
今のオシム賛歌と重なる。
もう一方のブログで「オシム離れというチャレンジ」
などこの事はさんざん書いてきたし、ここは懐古趣味にひたるのんびり
した場と考えているので、生々しい現在とのクロスオーバーは望んで
いない。
読書三昧の日々(「小谷泰介のフットボール辛口ブログ」)
浦和がG大阪に突きつけられた変革の必要性(「スポーツナビ」)
一般のブログで空想にふけるのも、ゴシップメディアの無責任な
記事も、目くじらを立ててもしょうがないと思おうとした。
嗚呼、なのに代表だ、レッズだ・・・どうしてプロのジャーナリスト
の肩書きを持つ人たちもこんな言葉を発する事ができるのだろう。
無邪気さと無責任さが渦巻く時代。かつてクラマーという扉に閉ざさ
れた未来。オシムと名を変えた扉が、また立ち塞がろうとして
いるのか。
UEFAチャンピオンズリーグ2007/2008 ノックアウトステージハイライト


