2014年07月13日

【ブラジルワールドカップ寄稿】記憶の決勝カード

2014年ブラジルワ-ルドカップ決勝が近づいてきた。
アルゼンチン-ドイツのカードは24年ぶりだと言うが、このイタリア大会での決勝戦を実際に知る人はどれぐらいいるだろうか。そして南米大陸でこの決勝カードは28年ぶりになる。つまり二大会つづけて同一決勝カードだったのだ。

ドイツはその後も決勝に姿を見せているものの、アルゼンチンはマラドーナと同じ歩みだったと言える。決してワンマンチームでは無かったが、マラドーナ抜きにはアルゼンチンの決勝進出は無かった。
一方ドイツは1986年のメキシコ大会と四年後でまるで違うチームになっていた。メキシコ大会の時は予想外の決勝進出だったものの、イタリア大会では初戦から快進撃を見せ本命だったかの如く優勝し、さらにはそこから近年のスペインが遠く及ばないほど強固な絶対王者となっていった。
ゲームメーカーが輝いた最後の大会、メキシコ大会で司令塔がいないとされたドイツはイタリア大会で自らゲームメーカーの時代を完全に終わらせてみせた。サッカーの近代化はこの時から始まったと言える。

強国として認知される両国だが、アルゼンチンはあれ以来ベスト4にも入っていない。またドイツは成績は良いものの、優勝そのものが24年前で止まっている。
記録では24年ぶりかもしれないが、私の中では28年ぶりという気持ちが強い。チーム状態は不思議な事にイタリア大会の方に似ている。わたしは記録よりも、記憶と重ねながらこの試合を見るだろう。

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2013年07月08日

'93年の追憶

サッカーにおいて”たら、れば”は言ってはいけないという言葉のひとつだ。
あの時にああしていれば、ああなっていたら・・・そんな事を言っていても、
無慈悲な現実は何も変わらないからだ。

サッカーの日本代表はアメリカワールドカップ予選の出場権を懸けたアジア地区
の最終予選で得失点差で韓国に競り負け、出場権を獲得できなかった。今は
「ドーハの悲劇」という言葉だけが残る、遠い昔の出来事だ。

まだ日本サッカーは熟成にはほど遠かったけれど、最終予選に進んだチームの中で
モダンなサッカーを見せていたのは日本だった。またラモスやカズ、柱谷哲二や
中山雅史、いやすべての選手たちが熱い魂を持ってファイトしていた。

本大会の出場数は”24”。多くの人がかえり見る事はないが、この大会までは
今より厳選された出場チーム数だった。だから日本代表は、仮に出場できて
いても苦戦しただろう。アジアではモダンだったサッカーも、世界では低い
レベルに映ったかもしれない。

けれども、おそらくあの日本代表は強烈なファイトを見せてくれたと思う。
例えブラジルやアルゼンチン、ドイツやイタリアに翻弄され大差をつけら
れていても、最後まで”何か”を刻みつけてくれたと思う。
”たら、れば”は言ってはいけない言葉だ。けれども思いまでは、止められない。



posted by nike3 at 03:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月30日

ストイコビッチ以前の名パサー

アマチュアであるJSL(日本サッカーリーグ)と、プロ化した
Jリーグ草創期の間には、大きく評価を伸ばしたチームと
下げたチームがあった。
前者は鹿島アントラーズで、その飛翔ぶりは今でも伝説として
語られる。一方後者では、ガンバ大阪、浦和レッズ。そして
名古屋グランパスが上げられるだろう。

名古屋はリネカーという大型補強もしたので、特にJリーグ
開幕後の失速ぶりには失望が大きかった。それにJSL時代の
終盤はリーグ戦でも躍進し、コニカカップも激闘を制し優勝。
Jリーグ開幕前の準備期間に行われたJリーグカップでも上位
進出を果たすなど実績も積んでいたので、余計にJリーグ開幕後
の不振は目を覆うばかりだった。

さてこの期間に、ジョルジーニョというブラジル人選手がいた。
その実力は高校を卒業したばかりの小倉隆史がいきなり点を
取りまくった試合後のインタビューで「パスが良すぎて・・・」
と言っていたエピソードで、よく伝わるだろう。小倉が入団する
前からJSL2部上がりのチームに過ぎなかったトヨタが大躍進した
のも、このジョルジーニョの存在によるものが大きい。

そんな名古屋に、ストイコビッチという選手がやって来た。
1990年のイタリアワールドカップで大活躍を見せた選手だったが、
時代のスピードが早すぎたのかW杯ベスト8では評価されずらいのか、
はたまたリネカーのトラウマがあったのか。そのネームバリューの
割には当初、話題にならなかった。
ただ(ストイコビッチが活躍するようになると、ジョルジーニョのポジション
が無くなるな)という思いはわたしにはあった。ポジションや役割も
重なるし、名古屋は既に外国人枠をフルに使っていたからだ。

最初のうちこそただの反則の多いヨーロッパ人、という評価しかされず
名古屋の選手も最初の頃の練習後に「うまい感じはするけど・・・よく
わからない」と言っていた。ところがその華麗な力が発揮されるに従い、
ファンも同じチームの選手さえも魅了されていった。
そしてジョルジーニョは徐々にフェードアウトしていった。年齢的に
多少上だった事もあり、致し方ない。ただあと数年はその力を発揮
できたようにも思う。ストイコビッチと重なると分が悪い、それは
致し方ないが、できれば他のチームに移ってもう少し活躍を見たかった、
そんな選手だ。

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アレックス・ファーガソン 伝説を創った指導力

posted by nike3 at 19:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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