2012年01月22日

大味な時代

”牛殺し”の異名を持つそのDF(リベロ)がやって来たのは、
1988年のトヨタカップだった。
実況はPSVアイントホーフェンのこのリベロがボールを持つたびに
その名と”キャッチコピー”を連呼した。サッカーのテレビ放送
の多くが特定のスター選手にスポットライトを浴びせるが、この
年はロナルド・クーマンこそがそうした存在だった。
監督はフース・ヒディングであったし、FWにはあのロマーリオ
もいた(しかも得点をあげている)。後の時代を思えば、なかなか
興味深い陣容だったが・・・。

クーマンはPKで得点こそあげたものの、前線にあがってのミドル、
フリーキックは不発だった。それはそうだろう。マンガではある
まいし、そう都合良く豪快なシーンなど出現しない。

けれども”牛殺し”などというフレーズはあまりサッカーに
似つかわしいものでは無い。どんなに強烈なキックであっても、
その前に選手が立ちはだかれば当然防がれてしまうからだ。
思えばこの時代は、1986年のメキシコワールドカップ迄で
司令塔の時代が終わりを告げ、'90年代から始まるサッカーの
変化(フィジカル、選手の役割の多様化)までの黎明期と
言える空白の時期だった。
トヨタカップも翌年にはACミランが登場し、個性が戦術の
中に組み込まれるという新しい時代を見せてくれる事になる。
キック力だけがフォーカスされるとはクーマンも何とも
可哀想な評価を受けたものだが、大味とはあのエアポケット
のような時代が、そうなのだろう。

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posted by nike3 at 22:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月15日

'85、四中工準優勝の記憶

正月の高校サッカー選手権は市立船橋と四日市中央工業という
オールドファンも良く知る組合せとなった。
結果的には延長の逆転ゴールで市立船橋の優勝となり、四中工
を応援していたわたしにとっては残念な結果となってしまった
(もちろん市船の選手には、心から拍手を贈りたいが)。

さて実況では帝京との両校優勝の記録が何度も出され、
小倉隆史、中田一三、中西永輔といったかつての主力メンバーが
スタンドで揃って観戦する姿が何度も映し出された。
しかしながらわたしが頭に浮かべていたのはあの決勝戦の事では
なく、1985年に決勝まで進み清水商業に対峙した四中工の姿だった。

'91年には前述の三人といった全国レベルの選手、しかも小倉に
いたってはわたしが見た選手権の中で三本の指に入るような怪物が
いたが、'80年代はそうではなかった。
けれどもチームとしては夏のインターハイを二連覇するなど、
全国の強豪とは目されていた。

選手として記憶に残るのはキャプテンの諸岡、阪倉裕二といった
ところか。阪倉はJSL〜Jリーグでも活躍し、日本代表にも名を
連ねた。
確か高校時代はFW、MF、DFのどのポジションもこなせるといった
紹介がされていたように思う。あの時代はちょうど狭間の時代だった。
阪倉が高校の頃はまだ中盤の司令塔が絶対視された優雅な時代。
JSLの頃は海の彼方ではユーティリティープレーヤーが台頭しつつ
あったが、日本ではオフトの率いる日本代表が活躍を始め、Jリーグが
開幕ししばらく経つまでその潮流は持ち込まれなかった。

選手権の決勝という大舞台にも関わらず枯れた芝と茶色くぬかるんだ
土しかなかった高校時代の記憶と共に、何とも時の無情を感じる記憶
の一つだ。

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posted by nike3 at 21:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月25日

柱谷幸一と先輩の思い出 3

柱谷幸一が日本代表のFWを務めていた時代。
トップには原博実がいて、サイドには水沼貴史、そして司令塔には
木村和司がいた。この選手たちは少ないチャンスで点を取り、
メキシコワールドカップへ後一歩まで迫った。
日本代表は”強力なFWが点を取る”というチームではなく、
中盤を含めた前線の選手たちが活躍するチームだった。

柱谷幸一が森監督に重用されたのは攻撃の中心となった日産
トリオのコンビネーション、そして前線で”体を張れる”
プレーだった。
柱谷が前線でのボールの収まりどころになることで木村、水沼
といった選手はシュートチャンスを掴む事ができたし、柱谷
が倒されればゴールに近い位置でフリーキックを得る事が
できた。
私の先輩も、思えばこういう役割だったのだと思う。
一つ上の年代のチームは突出した人はいなかったが、いろんな
選手が活躍を見せていた。

まだチームプレーやボールを持たない所での働きの重要性を
本当の意味で理解していなかった私は、あの頃先輩にも柱谷
にも心の中で不当な評価をしていた。
それが理解できるようになるのはずっと後なのだけれど、
あの頃にこの半分でもわかっていたらと、申し訳無さと
共に、悔しさが浮かんでくる。

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