2009年06月24日

雨と太陽の思い出

『となりの女』は藤竜也と大原麗子が出演していた金曜ドラマ
主題歌は竹内まりやの『恋の嵐』。
なぜかこのドラマには、雨の印象が強く残る。

その頃おこなわれたキリンカップでは、豪雨の中で日本代表
がヴェルダー・ブレーメンと対戦していた。
どこかの局のニュースでは何の冗談か、映像のバックに
雨に唄えば』(Singin' in the Rain)が流されるという、
ひどいコンディションだった。

直後におこなわれるメキシコワールドカップの出場を逃していた
日本代表は早くも翌々年におこなわれるソウルオリンピック出場
を目指して始動を開始。相手ブレーメンには奥寺がいて、南米
からやってきていたパルメイラスにはカズ、三浦知良がいた。
当時の数少なかったファンはこの海外のベテランと希望の若手
に思いを馳せながら、前年韓国に惜敗した代表チームの躍進を
夢見たが、一年後には同じ国立で再び冷たい雨のなか中国
完敗を喫しオリンピック出場を逃す。
そしてそれからの暗黒時代と大ブームの到来を予見していた
人間が、果たしてこの時いただろうか?

こんな具合に極東の島国は梅雨そのものの湿っぽいムードの中
にあったが、世界は広い。
メキシコワールドカップが開幕。
”太陽の国”と称されるメキシコの日差しは眩しく強烈で、時差
で真夜中なのにもかかわらずテレビ画面からその熱気を十二分
に伝えてきた。
いやそれは開催地の気候のせいではなかったのかもしれない。
そこにはジーコがいてプラティニがいて、リネカーがいて
ブトラゲーニョもいた。そして何より、マラドーナがいた。
金曜ドラマ、雨のキリンカップ。
あのメキシコワールドカップの熱い日々を思い出すと、これらが
同じ年に起こっていたなどと到底信じることができない。

posted by nike3 at 02:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月15日

唯一絶対の神1

おおよそ宗教的な唯一神や絶対神、偶像崇拝などを認めない私だが、
ことサッカーにおいてはその限りでない。
ディエゴ・アルマンド・マラドーナを回想する時の私は、常に刺激的
でそれでいて甘い夢に酔う夢遊病者のように、ふらりとした足取りで
記憶の中をさまよい続ける。

けれどもいくら眩い存在だったとしても、後世に残るのは断片的に
語り継がれる記憶の欠片でしかない。
その際たる例がマラドーナが歴史的な功と罪とをわずか90分の中で
同時に起こした、1986年メキシコワールドカップの対イングランド
だろう。
それは例え後に身体能力に優れるアフリカ人プレーヤーがさらに鮮烈
な形でDF陣を置き去りにして見せても、あるいはより狡猾な選手が
GKをあざ笑い観客とレフリーを煙に巻いたとしても、遠く及びはしない。
現在の世代の人たちが「もうマラドーナがいた時代ではない。
リアルな神とは、リオネル・メッシだ」とマラドーナ本人も認める
後継者がワールドカップを凌ぎ実質的に世界最高の舞台となっている
ヨーロッパのクラブシーンでそれ以上のことをやってのけても、
アステカの照りつける太陽のもとでマラドーナが世界を驚嘆させた
姿が曇ることはない。

ペレ以来の神の座に一歩一歩、確実に上って行くマラドーナの
踏み台にされた選手たちの中で、最も哀れだったのはイングランド
のGK、ピーター・シルトンだった。
”神の手”と称されるプレーで160数センチの小柄な選手に競り負
けた彼は、続けて自らの罪を曖昧にするためにその才能を一瞬
にして解き放ち、屈強なイングランドDF陣をすり抜けていった
マラドーナの前にまたしても立ち塞がる。
ハーフウェイラインからあざ笑われたイングランドの選手たちを
かばい母国のサポーターを歓喜させるために果敢に飛び出して
いった5人目こそがGKシルトンだったが、哀れこの最後の砦は、
尻餅をついた無様な姿で流し込まれるボールを見送るしかなかった。

ピーター・シルトンといえば言うまでもなくディノ・ゾフが
引退したこの時代に世界最高のGKの一人に数えられる選手だった。
けれどもこの名手はただマラドーナが確かな伝説として刻み込まれ
た日の敵役、いや最も無様な脇役に過ぎない存在となった。
マラドーナの”神の手”、そして”五人抜き”。
この二つのシーンに必ず映り込んでいる男を、誰が当時の世界的な
一流選手と思おうか。
唯一の神は稀代の名手さえも奈落の底に叩き落とし、無名の存在
に追いやってしまう。

(今度は無理だろう)と言われていたマラドーナとアルゼンチン代表
は、続くヨーロッパでのワールドカップでも地元イタリアを破り王座
へと後一歩まで迫る。
三位決定戦まで行き母国復活の兆しを見せたイングランドだったが、
シルトンが失態のようなプレーでボールを逃し惜しくも敗れた。
これを最後に国際舞台から姿を消したシルトンだが、マラドーナと
いう絶対神に触れてしまったばかりにその存在をサッカー史から
消されてしまった名選手、そう思えてならない。

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サッカーの記憶―語り継がれる伝説
posted by nike3 at 03:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月19日

私のブラジル5

1985年の幕開けは、戸塚のボレーだった。
ふわりとしたロビングを一閃、GKが取れない位置に流し込む。
アシストは、ジョージ与那城だった。

前年にはリーグ優勝、またその年の夏におこなわれたJSLカップ
でも優勝し、読売クラブは当たり前のように三冠を成し遂げた。
そのJSLカップの先制ゴールも戸塚だったが、アシストはやはり
ジョージのサイドからのグラウンダーによるパスだった。
ブンデスリーガーからやって来たプロ監督、ルディ・グーテンドルフ
はこのゴールを「ワールドクラスのゴ−ル」と絶賛したと言う。
同じ頃に行われたキリンカップとの日本代表戦でも戸塚-与那城
のラインにより得点。
それは釜本が「右45度やったら決める」と自信を持っていたように、
日本の中のブラジルが生み出した美しく絶対的なハーモーニー
だった。

そのハーモニーは戸塚と与那城の代表入り後、狂いを見せ始める。
王者はJSL開幕から苦戦をし、長身FW松浦を擁す日本鋼管には
大敗を喫した。
武田修宏というスター候補はまだクラブに入ったばかりで
覚醒していなかった。カズ、三浦和良はブラジルの地でまだ
明日をも知れぬ扱いを受けていた。日本国籍を持っていない
ラモスが将来の日本代表の大黒柱になろうとは誰も思わなかったし、
少年時代に読売を出て行った北澤豪が偉大なる凱旋をトップチーム
にするとは誰も思ていなかった。

けれどもそうした華やかな時代の前には、寂しい別れもある。
リーグ戦を下位に近い順位で終えた緑の王者は、”ミスター”
と呼ばれクラブの黄金時代を築いた偉大な選手と別れを告げた。
あの独特のサンバのリズムがそれをどう見送ったのか、
”日本にはサッカーがなかった”とブラジルの'80年代の英雄
に放言された時代のことなので知るすべもない。
与那城がユニフォームを脱ぎベンチで指揮を取り始めた頃、
華やかなメキシコワールドカップが開幕し私は本当のブラジル代表
を見てその美しさと巧さにため息をついた。

それまでに私が見ていたのは、本物のブラジルではなかった。
けれども、あれからいくつものブラジルの強豪チームを見、
化け物じみた選手を、オーラに包まれた英雄を見ても、
やはりあの日本のブラジル、緑色のユニフォームを着て
独自のサンバのリズムにあわせてグラウンドの中で展開
する美しいサッカーは、今でも私の心に強く印象に残って
いて、思い出すたびにあの頃の夢に酔わせてくれる。

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posted by nike3 at 21:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする