2018年04月16日

マイアミの奇跡を知っていますか?

暑い夏の日だったと記憶している。
とはいえそれは、テレビをつけている日本での話。
現地がどうだったかを知る由はない。

日本のオリンピック出場は、銅メダルを獲得したメキシコオリンピックから実に28年ぶりだった。
わたしは銅メダルの頃を直には知らないが、ソウルとバルセロナで悔しい思いをしたシーンはよく覚えている。
どちらも、アジア予選での話だ。ちなみにわたしが日本代表というものを知ったのは、「日本代表、ロス五輪予選で全敗!」というサッカー専門誌の報道からだった。

川口能活、前園真聖、中田英寿、松田直樹、城彰二・・・この面々は、素直に当時のA代表より強いと思っていた。だからアジア予選で出場権が決まるサウジアラビア戦はよく覚えていて、「この面子で出られないなら、もうオリンピックに出ることなど二度とないのではないか・・・」と本気で思ったものだ。
ちなみに怪我でメンバーからは漏れたが、この時の最高の選手は小倉隆史だという思いは今も変わらない。

アトランタの本大会、マイアミに話を戻そう。
ブラジル戦だ。
圧倒的に不利だと言われたが、私は「勝つのでは?」という思いもあった。
小倉がいないからだ。
小倉がいればブラジル相手でも攻める、という意識は強くなったと思う。
しかし彼は不在だ。そうなれば守って、守ってカウンター・・実際に日本は、(小倉の不在が影響しているかどうかは分からないが)ひたすら守り堪え、唯一の機会で1点をもぎとった。得点者は早くから才能を評価されていた、伊東輝悦だった。痛恨のミスをしたアウダイールはオーバーエイジの選手で、この制度について考えさせるものだった。

その後も日本は、怒涛の攻撃を防ぎ続けた。
ロベルト・カルロス、リバウド、ベベット・・・ロナウジーニョ(ロナウド)も登場した。
わたし自身の注目は、この時代のブラジルの10番を背負う逸材、ジュニーニョ・パウリスタだった。

ただひたすら堪え、奇跡的なディフェンスでブラジルを完封し、勝利を挙げた。
28年ぶりのオリンピックでは、それで感涙だった。
それから22年たった今、当時の監督西野朗がA代表を指揮することになった。
盛んに「あのマイアミの奇跡の」とメディアははやし立てる。
しかしそのマイアミの試合を、どれだけの人が知っているのだろうか。
ポーランド、セネガル、コロンビアは強豪であるが、あの時のブラジルではない。
そして日本も、メキシコ五輪の栄光だけにすがるサッカー後進国ではない。
マイアミの奇跡の戦いを今見せられて、どれだけの人が納得できるのだろうか。
posted by nike3 at 08:29| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月13日

【ブラジルワールドカップ寄稿】記憶の決勝カード

2014年ブラジルワ-ルドカップ決勝が近づいてきた。
アルゼンチン-ドイツのカードは24年ぶりだと言うが、このイタリア大会での決勝戦を実際に知る人はどれぐらいいるだろうか。そして南米大陸でこの決勝カードは28年ぶりになる。つまり二大会つづけて同一決勝カードだったのだ。

ドイツはその後も決勝に姿を見せているものの、アルゼンチンはマラドーナと同じ歩みだったと言える。決してワンマンチームでは無かったが、マラドーナ抜きにはアルゼンチンの決勝進出は無かった。
一方ドイツは1986年のメキシコ大会と四年後でまるで違うチームになっていた。メキシコ大会の時は予想外の決勝進出だったものの、イタリア大会では初戦から快進撃を見せ本命だったかの如く優勝し、さらにはそこから近年のスペインが遠く及ばないほど強固な絶対王者となっていった。
ゲームメーカーが輝いた最後の大会、メキシコ大会で司令塔がいないとされたドイツはイタリア大会で自らゲームメーカーの時代を完全に終わらせてみせた。サッカーの近代化はこの時から始まったと言える。

強国として認知される両国だが、アルゼンチンはあれ以来ベスト4にも入っていない。またドイツは成績は良いものの、優勝そのものが24年前で止まっている。
記録では24年ぶりかもしれないが、私の中では28年ぶりという気持ちが強い。チーム状態は不思議な事にイタリア大会の方に似ている。わたしは記録よりも、記憶と重ねながらこの試合を見るだろう。

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posted by nike3 at 19:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月08日

'93年の追憶

サッカーにおいて”たら、れば”は言ってはいけないという言葉のひとつだ。
あの時にああしていれば、ああなっていたら・・・そんな事を言っていても、
無慈悲な現実は何も変わらないからだ。

サッカーの日本代表はアメリカワールドカップ予選の出場権を懸けたアジア地区
の最終予選で得失点差で韓国に競り負け、出場権を獲得できなかった。今は
「ドーハの悲劇」という言葉だけが残る、遠い昔の出来事だ。

まだ日本サッカーは熟成にはほど遠かったけれど、最終予選に進んだチームの中で
モダンなサッカーを見せていたのは日本だった。またラモスやカズ、柱谷哲二や
中山雅史、いやすべての選手たちが熱い魂を持ってファイトしていた。

本大会の出場数は”24”。多くの人がかえり見る事はないが、この大会までは
今より厳選された出場チーム数だった。だから日本代表は、仮に出場できて
いても苦戦しただろう。アジアではモダンだったサッカーも、世界では低い
レベルに映ったかもしれない。

けれども、おそらくあの日本代表は強烈なファイトを見せてくれたと思う。
例えブラジルやアルゼンチン、ドイツやイタリアに翻弄され大差をつけら
れていても、最後まで”何か”を刻みつけてくれたと思う。
”たら、れば”は言ってはいけない言葉だ。けれども思いまでは、止められない。



posted by nike3 at 03:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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